ワインと旅の随想 「issyさんの日記」 bQ0 続・わからないこと 2003.11月 |
九月十日になるとCEAがますます増えるので肝臓をエコーで検査したところ癌の転移らしいものがあるとのことです。ポジトロンの順番を待っておられないようです。 九月十六日に神鋼病院に入院しました。 十七日には採血による各種の検査。 十八日にはCTの検査。 二十四日には直腸から生検を実施。 その結果「S状結腸癌」「肝左葉の転移性肝癌」と診断され三十日に手術と決まりました。「S状結腸部分切除」「肝左葉部分切除」「胆嚢摘出」の手術を受けることになるのです。最近の手術は殆ど全て挿管による麻酔なので、術前に呼吸の訓練があります。深呼吸だけでなくトリフローなどの器具を使って吸気の訓練もします。 手術の日には十時から術前処置に入りました。精神安定剤の注射、腸管の運動抑制剤の注射。手術室に運ばれ胃ゾンデ、膀胱にバルーンカテーテル、更に硬膜外チューブが挿入されました。 挿管され麻酔が始まってからは全く覚えがありません。午後四時ごろ自分の病室に戻ったそうですが、四時半には覚醒しました。上記の管類の上に酸素吸入の管、中心静脈からの点滴の管、見えないところには手術部位からのドレイン三本、とマカロニ症候と呼ばれる状態です。その上下肢にフロートロンが巻きつけられています。長時間の安静のため下肢に血液が滞ってしまうため血液の循環をよくするように一定期間おきに空気で下肢に圧力を加える機械です。惨憺たる状況です。 術後一日目になりました。硬膜外チューブから持続的に鎮痛剤が流されているのでお腹の痛みはありません。早くから体を動かしたほうが好いので上半身を立位にして暫く其の侭にしていましたが尿道のカテーテルが気持ちが悪くて困りました。点滴は毎日二十四時間連続です。酸素マスクは簡易なものに変わりました。挿管により声門を長時間圧迫したため声が出ません。囁きです。会話の努力で疲れます。頻回に蒸気による吸入をさせられました。創口やドレインに当てられたガーゼは毎日四回交換です。 二日目になりました。坐る時間を長くするように言われました。鼻から入れられた胃ゾンデと硬膜外チューブは夕刻抜去してもらいました。もう絶食してから五日目になりますが点滴のおかげで空腹感は全くありません。 三日目になりました。午後になると酸素をはずして歩行することを命じられました。尿道のカテーテルは取れていないので歩くのは大変です。病室内を申しわけ程度に歩きました。 四日目になりました。午前中に尿道のカテーテルを抜去しました。これで点滴だけが歩行の邪魔ですが随分楽になりました。病棟の端から端まで往復しました。足腰が全く弱くなっていました。寝ている間も手足は自分なりに運動させて少しでも弱らないように努めていたのですが、腹部や腰背部の筋肉は殆ど動かしていないので無理もありません。 五日目になりました。日曜日で病院も静かです。人が殆どいない外来診療の部分をゆっくり歩きました。 六日目です。早朝採血がありました。午前中に腹部の立位と臥位のX線写真をとりました。消化器は順調に動いているようです。 八日目。腹壁の開腹創を閉じたクリップの上半分をはずしました。 十日目。クリップを下半分もはずしました。 十一日目。午前午後二回歩行訓練するようになりました。 十二日目。日曜ですが昼過ぎに腹部のX線写真を撮りました。 十四日目。午前で高栄養点滴終了。昼食から流動食になりました。 十五日目。三分粥。 十七日目。五分粥。 十九日目。七分粥。 二十日目。全粥。腹部の右側ドレイン抜去。 二十二日目。腹部左側のドレインより造影剤注入検査。入院後初めて洗髪。 二十三日目。午前で点滴終了。 二十五日目。腹部右側ドレイン抜去。 二十九日目。シャワーで頭のてっぺんから足先までゆっくり洗う。 三十一日目。退院。 以上で今回の治療は終了しましたが、これから先にもわからないことは残っています。 最大の問題はこれからあと既存の癌が何処かに転移するのではないかという恐れです。 生きている間それを早期に発見する努力が絶やされません。 |
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