ワインと旅の随想 「issyさんの日記」 No.2 2002.5. |
汽車の旅 (2002年5月) 生まれて初めて一人で汽車に乗って母方の祖父母の家に行ったのは、小学1年の夏休みでした。乗車するときは父親がホームまで送って来て席に着かせ、周囲の人達に「一人で行きますからよろしくお願いします」と頼んでくれました。 三時間して終点の駅に着いたのですが迎えの人が来ていません。暫く待っていたのですが誰も迎えに来ません。幸い私は道を良く覚えていたので、2kmばかりをテクテクと歩いて行きました。 着いてみると家の中が何となくざわついています。玄関で「おじいチャーン」と大声で呼ぶとみんながどやどやと出てきて、良かった良かったと言い合っています。祖父は町医者だったので人力車を使っていました。お抱えの車夫に迎えに行かせたのだそうですが、車夫が途中で知人に出会いお喋りをして遅れたらしいのです。駅から電話で乗っていなかったと報告したらしく、私の父親に電話をかけたり大騒ぎをしていたところでした。 私の父は小役人で転勤を繰り返しました。小学校も高学年になると随分遠くから祖父母の家まで一人で行っていました。中学校になると鉄道に勤めていた独身の叔父が、私より10才年上で同じ戸籍だったので、ときどき家族優待パスを貰ってくれました。私は食と宿とを節約して何日も駅弁と夜行列車ばかりの一人旅をしたものです。 駅弁と言えば、話は急に飛びますが、ジュネーブからパリ行きの特急に乗ったとき、発車間際に飛び込んできた一人の青年が、私たちの近くにどっかりと腰を下ろすと、すぐトレンチコートのポケットから紙包みを取り出しました。中から出てきたのは小ぶりのフランスパンと鶏の腿肉の燻製と赤ぶどう酒です。私たちの目を気にすることもなく食べたり飲んだり始めました。 目を凝らしてよく見るとハーフサイズのボジョレーです。後で聞くと駅弁として広くフランス各駅のホームで売っているそうです。日本でボジョレーが駅弁のワインと有難くない呼ばれ方をすることもはじめて知りました。数年たってから日本でも同じ格好の紙袋弁当が各地の駅で売られました。 この時のワインは赤のデリカワインでした。しかし買う人が少なかったのかすぐ見かけなくなってしまいました。 スイスはドイツ語圏、フランス語圏、イタリア語圏と大まかに分かれているようですが、ワインも三国の系統に分かれているようです。ドイツ圏では白が、イタリア圏では赤白双方が、フランス圏では殆ど赤が造られ飲まれているそうです。 駅弁ではないのですが、日本からの観光客は大部分が食事付の特急券を買っているので、飛行機と同じようにお膳を席まで運んでくれます。食事付でなくても注文をとりに来るので其のときに注文すれば同じように運んでくれます。最近の団体客は旅行会社が用意した和食のランチボックスを利用させられることが多いようです。 また話が飛びますが、このときジュネーブに行くにはヨーロッパ横断特急ラインゴー.ルド号に乗ったのですが、昼食は食堂車に行きました。お昼頃ドイツのマインツで乗車したのですが、予約してあったのでまもなく呼びに来ました。 食堂車はそんなに豪華な車両ではありません。ウェイターもラテン系の人たちばかりで、ドイツ語も英語もうまくありません。それにわれわれ日本人8人のほかにお客がありませんでした。日本にいるようなつもりで飲んで、食べて、大声でしゃべり、私はフランケンワインを1本空けてしまいました。若かったのですね。 隣の人は流暢なドイツ語でミネラルウォーターでガスの入ってないものと注文したのに、持って来たビンはガス入りでした。おまけにマルクの持ち合わせがなくドルで払ったので、随分高い水になったとぼやいていました。 午後五時にはスイスのベルンに着いたのですが、さすがにジネーブ行に乗換えるのが大儀でした。 ではまた・・・ issy ・・・ |
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