ワインと旅の随想 「issyさんの日記」

bP4 雨の思い出 2003.3月


 最近は木の芽が出るのを促すような雨が続きます。たまにはそれ以上の大粒の雨が降ることもあります。雨が降ればそれによって思い出す色々のことがあります。

 一九八八年六月にスイスに行った時です。チューリッヒからルツェルンを経てブリエンツ湖の傍を通り、インターラーケン東駅の傍を通り過ぎるとユングフラウ地域になり、高い峰峰を仰ぎながら谷あいの道をどんどん走り、グリンデルワルドに着きました。ここは登山と観光の基地になっています。
 グリンデルワルドの宿舎は、お伽の国にあるお菓子の館のようなホテル・ベルベデーレです。ホテル横のテラスで椅子に腰掛けて少憩し周囲を眺めると頭の上に左からウェッターホルン、シュレックホルン、北壁を威嚇するように見せるアイガー、それにメンヒ、美しい姿のユングフラウと並ぶ夢のような景色です。しばらくはみんな声も出ませんでした。
 突然ザーッと音がして激しい雨が襲来し、全く何も見えなくなってしまいました。山の天気の変りやすいことは何度も経験していますが、前触れもないこのような急変は初めてです。みんなロビーに集まって鍵を受け取り、やっと各自の部屋に入りました。
 夕食にはこの地方の郷土料理ベルナー・ブラッテとベルナー・レスティも用意されました。この地方はベルナー・オーバーラントと呼ばれています。前者は肉と野菜の盛り合わせ、後者は蒸かした馬鈴薯を摺りつぶし、フライパンで焼いた素朴な料理です。食事が終わった頃は満天の星空でした。

 翌日は早くから雲ひとつない青空でした。アプト式電車に乗ってクライネシャイデックで乗換えて標高三四五四米のユングフラウヨッホまで行きました。高地に弱い私はそこまででしたが、同行の人は地下道やリフトを利用して三五七三米のスフィンクステラスまで行ってきたそうです。帰路は往路と同じ経路を取って午後三時ごろグリンデルワルド駅に帰ってきました。
 駅からメインストリートをホテルと反対方向に歩きます。一〇分も歩くとフィルストに行くヨーロッパ第一の長さを誇るリフトがあります。二人掛け横向きで行きと帰りは別の方向を眺めます。足元は最初に林があり、次は牧草地、さらに高山植物のお花畑と変ります。遠くにはシュレックホルンやアイガーの峰、オーバラー・グリンデルワルド氷河が手に取るように見えます。途中に三つの中継所があり、約三〇分で頂上に着きました。
 展望レストランでのんびりお茶を飲みながら景色を眺めましたが、帰る頃になって急にあたりが暗くなってきました。雨になると言うのです。みんな厚い雨具を借りて完全武装でリフトに乗りましたが、私はウインドブレイカーを着ていたのでそのまま乗り、あたりの景色を楽しんでいました。ところが突然叩きつけるような猛烈な雨です。雨の粒がラムネ玉程もあるように感じました。アツと言うまに腰から下がずぶ濡れになりました。リフトから下りてみんなが登山道具のショッピングに出掛けたのに、私だけはホテルに帰って濡れた服を乾かさなければなりませんでした。
 夕食はフォンデュ・シノワーズです。名前は中国風フォンデュとなっています。しかし日本からの観光客が増えたので最近宣伝しているようですが、「しゃぶしゃぶ」とそっくりで、我々にとっては日本風フォンデュと呼んでもらいたい料理です。
 一日中良く遊んだので早めにベッドに入りましたが、昨夜とちがって雨風の音もなく静かで、その上適度の疲労もあって朝までぐっすり眠りました。

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 一九八九年にニュージーランドのマウトクックに行った時のフッカー峡谷ハイキング4時間も強い雨の中でした。このときのことは既にNO.11「歩くこと」でご紹介しました。

 一九九一年九月カナダのモントリオールに行ったときも一日雨でした。ケベックのホテル、シャトー・フロンテナックに泊っていましたが、朝五時半に起こされてバスでバレ駅に行き、八時発の列車に乗ってモントリオールに向かいました。座席は新幹線のグリーン車程度、レールは標準軌道ですが優雅に旅することが目的ですから、急に速度を変えたりしないで優雅に走ります。席は指定席で飛行機の機内食のような朝食が出ました。ホテルで食べるアメリカンスタイルの朝食と比べても遜色ありません。沿線の景色を眺めながら進みますがとうとう雨になりました。おもに林の間を走ます。深紅のメイプルの木、やや赤みを帯びてきた木、名前は判りませんが鮮やかな黄葉の木、少し黄色になってきた木、見飽きることがありません。
 林がきれると畑が広がり、農家が散在し、役場らしい家のまわりに自動車が停まっている街があり、鐘楼のある教会がありますが、人影はごく僅かです。遠くの景色は見えませんでしたが、雨に洗われた木々の葉の美しさは格別でした。

 モントリオール中央駅には昼頃になって着きました。ここもケベック州です。外に出ると雨が降っていて夕方のような暗さです。
 一五三五年ジャック・カルティエによって発見され、間もなく植民者メゾンヌーブが街を建設しビル・マリと名付けました。それ以来フランス人居留地として栄えたのですが、イギリスとの争いに敗れ、一時期イギリスの植民地に組み入れられました。従ってフランス系の他にイギリス系の人も相当います。
 モントリオールは人口三〇〇万人でカナダ第二の都市であり、またフランス語が主に使用されている都市としては、パリに次ぐ第二の都会として有名で、フランス第二都会マルセイユ以上の賑やかさです。
 雨の中をバスに乗って昔は城壁で囲まれていた旧市街を走ります。このあたりの町並はフランス風の港町です。中央を貫く繁華街であるノートルダム通りは観光名所の建物や広場が続き、各種の商店やレストランなどが並んでいます。
 右がノートルダム寺院、左が一八九五年から立っているメゾンヌーブの像があるダルム広場、暫らく行くとジャック・カルティエ広場で、お天気なら花売りや大道芸人で賑やかだそうです。
 間もなく交わるボンスクール通りを右に曲がると、つきあたりがノートルダム・ド・ボンスクール教会です。別名船乗りの教会と呼ばれ、セント・ローレンス河に向かって聖母マリアの像が祀られているそうです。
 一六五六年に木造の小さな教会が建てられたのですが、一七七一年に石造で再建されました。その頃は兵士達に現地除隊をすすめ、土地を与えて入植させました。しかし男だけでは困るので、持参金を支給することを条件に、本国から若い娘を募集してきました。
 その娘たちに結婚前の教育をほどこしたのがこの教会なのです。またその娘たちが寝泊りしていた寄宿舎がボンスクール通りに残っています。今は地味なレストランになっている古風な石造の建物、レ・フィーユ・デュ・ロアがそれです。私達はここで昼食を食べることになりました。天井は低く窓は小さく壁は石造りです。各部屋とも大きさがまちまちで、それぞれ異なった雰囲気を持っていますし、ウェイトレスは民族衣装を纏っていました。
 料理は伝統的フレンチ・カナダ料理とのことですが、カナダの材料によるフランスお惣菜料理と思いました。

 昼食がすんでも雨は止みません。乗り降りが大変なので歩く観光場所を少なくします。

 ノートルダム教会は一八二九年建造のネオ・ゴシック建築で、カナダで最も絢爛豪華な教会と言われ、黄金まばゆい内装に、ビル・マリの歴史を示すステンドグラスが珍しく、螺旋階段の上の説教台も印象的でした。
 次はモン・ロワイヤル公園ですが、雨が止まないので、先ず大屋根が高く聳えるサン・ジョセフ礼拝堂に行きました。
 フランス系カソリック信者は奇跡を信じる風習があるそうです。今も残っている小さな教会で、かずかずの奇跡を行なったアンドレ修道士の恩恵に浴した人々が、一九二四年に堂々たる聖堂に建て直したのです。
 入口の前にカリヨン(組み鐘)があります。パリのエッフェル塔に置く予定でしたが、余り重たいので採用されず、此処に持ってこられています。音色の良いことで有名です。丁度鳴っていましたが軽やかな音です。
 とても広い建物なので入口から礼拝堂に行くまでが大変です。病気を治してもらった人の不要になったギプスや松葉杖などが、山のように積まれた部屋、ローソクがずらりと灯されて熱気のあふれる部屋、奇跡を描いた絵画の部屋などを通り過ぎ、長いエスカレーターを乗り継いでやっと到着します。
 広い礼拝堂自体は割に簡素です。礼拝堂前にあるテラスからの景色が良いそうですが、今日は雨で殆ど見えません。
 念のためバスはモン・ロワイヤルの頂上にある展望台まで行きましたが、やはり見通しのきかない雲の中です。

 モントリオールはセント・ローレンス河とオタワ河が合流する所にある河中島にあります。島には四つの自治体があり、その中心が標高二三三米のロワイヤル山をめぐるモントリオール市なのです。何処からでも頂上の十字架が見えるように建物の高さが制限されているそうです。
 雨なので下車することを避け山を取り巻く大学や病院のそばを回ります。スポーツ・センター、理工科大学、モントリオール大学、商科大学、モントリオール総合病院。モントリオール神学校、コンコルド大学、マックギル大学、小さなロワイヤル山を囲んで、これだけの施設が集まっていて、モントリオールは学問の街でもあるのです。

 今度は北の郊外にある一九七六年オリンピックの、各種施設がある公園に行きました。

 メインスタディアムの斜塔は有名で高低差一九〇米あり、展望台からの眺めは素晴しいと聞いていましたが、だいぶ前からエレベーターが故障していて、立入禁止になっていたそうですが、おまけに数日前に塔の壁が広く崩落して、スタディアム本体を損傷してしまったそうです。覆いが掛けてある場所が目立ちました。
 旧市街に戻ってセント・ローレンス河のジャック・カルティエ橋を渡ります。対岸まで行かずに、橋の途中から下りるとサン・テレーヌ島で、この名前はシャンプラーン夫人にちなんで付けられています。
 河岸には植民地化に成功したイギリスが築いた石造の要塞があり、城壁の上から大きな大砲が河を睨んでいました。
 一九六七年の万国博覧会はこの島と、隣のノートルダム島で開催されました。当時のアメリカのパビリオンでは各種の催物や展示などが行なわれます。また世界第二のローラー・コースターを誇る遊園地や、水族館などもあります。ぐるりと島内を廻りましたが、雨天なのと季節はずれのため、人影は殆どありません。
 ノートルダム島は万博のために一五〇〇万トンの土を運んで造った人工島で、夏にはフローラルパークに世界中の花々が、研を競って咲くそうです。また有名なF1レースのカナダ・グランプリは、この島で行なわれます。
 ノートルダム島からサン・テレーヌ島を通って市街に通じるコンコルド橋を渡ると、港の防波堤のような細長い所を通って、近代美術館の近くにきました。
 今日の宿舎はコンコルド大学やマックギル大学に近い、モントリオールで最も重厚で風格のある、リッツ・カールトンでした。
 繁華街の中にあるのですが、小雨が降っていますし、ホテルで夕食を食べてゆっくり休みました。

 翌日はバスでオタワに行きましたが、この日は何とか雨にあわず観光が出来ました。私達の泊ったホテル・シャトー・ローリエは運河のほとりにありました。
 シャトー・ローリエはカナダ二代目の首相ローリエに因んで名付けられていて、運河をはさんで彼の銅像が立っています。建物は尖塔が沢山あるイギリス風ゴシック建築で、城館のような偉容に歴史的建造物と間違えて訪れる観光客が多いそうです。
 夕食はホテルから五分ぐらい歩いた所にある、ジャパニーズ・ビレッジに行きました。鉄板焼きが売り物ですが、シェフが調味料の筒で鉄板を叩いたり、二つの筒を手玉にとったり、演出過剰でしたが、それが外人にうけて繁盛しているそうです。鮭と海老の料理がメインでした。
 帰える時暫らく歩いたら急に猛烈な夕立となり古い建物の車寄せに駆け込みました。ホテルまであと僅かの所で二〇分も雨宿りをしてやっと帰り着くことができました。


 旅をする時に雨を怖がる必要はありません。雨の日は雨の日なりの楽しみと思い出があふれています。

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