ワインと旅の随想 「issyさんの日記」

bP7 弁慶ゆかりの地 2003.6月


古傷の右手の運動が充分でないので紀伊田辺の小さな温泉ホテルに十日間滞在しました。ホテルの窓からはるかに東白浜などの建物が見えます。
紀伊田辺の港 ●紀伊田辺の港
 
 神戸からは新幹線で新大阪駅に行き、JR在来線で新宮や白浜行きの特急に乗れば二時間余りで行くことが出来ます。

 紀伊田辺駅に下りると駅前に長刀を構えた弁慶の銅像が出迎えています。昔はがらんとした駅前広場でしたが、広さは変わらなくてもバス乗り場、タクシー乗り場、弁慶の銅像、駐車場などが出来て窮屈な駅前になっています。
●弁慶の銅像 弁慶の銅像

 私が着いたときは雨が降り出した上に、大きな学校の同窓会が終わった時間で混雑し、タクシーがなかなか来ないのでイライラしましたが、乗ると十分足らずで着いてしまいました。

 今から約八百年前、熊野三山第二十一代別当湛増の広大な屋敷が田辺市の中心部にありました。弁慶は此処で誕生したのです。闘鶏神社近くの大福院に弁慶生誕地の碑があり、昭和三十五年まで田辺第一小学校にあった弁慶産湯の井戸は田辺市役所前に復元されていますし、弁慶産湯の釜は闘鶏神社の宝物として残っています。また現在産湯の井戸近くに茂っている弁慶松は、衣川で壮烈な最期を遂げた弁慶のために熊野別当一族が闘鶏神社の裏山に植えた松の三代目を江戸時代に移植していたものが、高さ十五米、周囲四米の巨木となっていたのですが、昭和五十年に枯死ししてしまいました。現在は六代目が茂っています。
弁慶産湯の井戸 ●弁慶産湯の井戸

 ホテルを出て西に向かうと湊浦漁港があり次いで海水浴場の田辺扇ケ浜ビーチです。それを過ぎると扇ケ浜公園になります。一粁余り続く弓なりの白砂青松で神戸の舞子に似ているので紀州舞子と呼ばれています。今は堤防が出来てお互いに昔の面影はありません。

 公園には遊具がそろった子供の広場やユニークなカラー噴水がありその近くに熊野水軍出陣の地碑があります。源氏の味方をして文治元年(1185)弁慶の父熊野別当湛増が二千人の兵を率いて出陣した事実を後世に残すための碑です。

 此処まで来ると市役所はすぐです。道路の反対側に弁慶松が見えています。公園の市役所前の施設は野外音楽堂の付いた広場です。カッパークと呼ばれていますが公衆便所が派手すぎるのが気になります。

 田辺駅とこの広場を結ぶ道路を田辺大通りと呼ぶようです。駅と市役所を結ぶ動脈です。私は滞在中毎日が暇なのでこの線を中心に散歩していました。

 田辺大通りの中程にあるアオイ通りは歩道がモザイク模様の商店街です。その南の端で東に折れ宮路通りを歩くと大きな鳥居があり闘鶏神社があります。

 鳥居前の左右に延びる道は毎月第三日曜日に市が開かれて賑わいます。二度目に私が行った時は丁度市の日でしたが大変な人ごみでした。大雑把に言えば神社側は食べ物を売る又は食べさせる店で、反対側は骨董や衣料品や日用品まで何でも売っていたようです。鳥居より北側の町の裏側は大福院で弁慶生誕地の碑があるそうです。

 境内に入ると右に拝殿がありその奥に上殿の五棟があり、伊邪那美命ほか十五もの神々を祀っています。

 拝殿と社務所の間には此処で弁慶の父湛増が源平合戦を占うためこの境内で紅白の鶏を闘わせたところ、白が勝ったので源氏の味方をしたと言われていて、湛増・弁慶の親子が闘鶏を見つめる銅像が建っています。
●湛増・弁慶の親子が闘鶏を見つめる銅像 湛増・弁慶の親子が闘鶏を見つめる銅像

 左側は社務所と宝殿があり、弁慶産湯の釜、湛増の鉄扇と鉄烏帽子、義経遺愛の横笛などの宝物が収められているそうです。

 鳥居を出て宮路通りを西に歩き田辺大通りを横切り、少し進むと道が少し左に斜めになって郵便局前に来ます。郵便局の次の角で右折して田辺第一小学校との間の道を行くと右に八坂神社があり、境内の一隅に弁慶の腰掛岩があります。弁慶が子供の頃良く腰掛けたと言われるもので、長方形の石の中央に腰掛のような窪みがあります。
弁慶の腰掛岩 ●弁慶の腰掛岩

 田辺第一小学校にあった弁慶産湯の井戸が、今は市役所の駐車場に復元されているのです。その傍に茂る弁慶松も一説に寄れば熊野別当一族が弁慶の誕生を祝って植えた松の子孫だと言うことです。同じ子孫が平泉の弁慶の森でも育っているそうです。

 市役所の西隣は紀南文化会館で、道の海側は埋立地で広い駐車場になっています。文化会館の西側の道を北に行けば先に述べた郵便局に行くことが出来ますが、西にどんどん歩くとカソリックの教会や保育園があり、古い町並みになり会津川の河口に架かる田辺大橋に来ます。橋を渡ると左側は大きな田辺漁港で沢山の漁船が止まっています。岸には水揚げ場や市場やずらりと並んだ大型トラックが見えています。橋の手前の右側は徳川時代の田辺城(錦水城)の址です。小公園になっている城址の一隅に石段がありそれを下りると地下から川原に出ることが出来ます。錦水城水門址です。

 川に沿って遡ると(新)会津橋があります。少し上手には旧会津橋も見えています。此処で右折して片町を少し歩くと田辺第一小学校の傍に来ました。小奇麗な店が並んでいて田辺銀座と名づけられています。道はやがてお寺の塀に阻まれて丁字路になります。左折して壁に沿って歩くと湊本通に出ます。右折して少し歩くと蟻通神社があります。

 蟻通神社とは意味ありげな名称ですが、大昔この国が外国から攻められましたが敵側は大きな巻貝の先端に小さな穴の開いたものを持ってきて、この穴に糸を通すことが出来れば征服することを止めると申し入れてきました。この国の神々が集まって相談したのですが、一人の神が貝を綺麗に洗い、さらに蜂蜜の液に浸し、さっと洗って乾燥させ、足に細い糸をつけた蟻をこの中にいれたところありは見事に穴から出てきて糸を通すことが出来ました。敵はそれ以後こんな知恵者がいる国は攻めないほうが好いと考えて攻撃をすることがなかったそうです。境内にある楠の古木は安政の大火のさい水を吹いて町を救ったと伝えられています。

 神社を出て湊本通りを東に進むと田辺大通りに出ます。左はアーケードのついた駅前通りで、右は明るく色彩的なアオイ通りです。

 足を頼りに歩いたので少し離れた名所などは訪れませんでした。 



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