ワインと旅の随想 「issyさんの日記」


               No.5 2002.7.


bT    市内電車


  市内電車と聞けばチンチン電車と言う懐かしい言葉を思い出す人も多いでしょう。一般の道路を走っている電車で、危険を知らせるために運転手がボタンを踏んでチンチンと音を出すのです。また車内では首から大きな鰐口の鞄を下げた車掌が、穿孔鋏でチンチンと音を出しながら切符を売って回ったり車内に張った紐を引いてチンチンと発車の合図をしたりしていました。
 
 私が知っている最も古い車両は人や家畜が衝突しても掬い上げて大事に到らないように、前面には水平に網が張られていました。運転手の前は硝子窓ですが、彼はコントローラーの前に立ち左手でノッチを動かし、右手は水平に回す手動ブレーキの梃子に手をかけて運転していました。

運転手が立つ床に乗降口があるのですが扉はなく、吹きさらしなので雨や雪も吹き込みます。冬は運転手が厚い外套を着て運転していました。乗客は彼のうしろを通ってさらに一段高くなった客室に扉を開けて入るのです。

 屋根の上にはポールが一本あり、先端近くに紐がついていて後部につないであります。ポールが架線から外れると車掌が後ろの窓から体をのり出して紐を操りポールを架線に戻します。終点に来ると最後に車掌が降りて外から紐を引きながらポールを後ろに回し、進行方向を逆にします。車台には四つの車が付いていましたが固定されていたので、急カーブなどではよく脱線しました。今では明治村などのテーマパークに行ってもこんな昔の風情をそっくり見ることはできないでしょう。

 市内電車の一番盛んなころの多くの車両は前後に二本ずつのポールがあり、前のポールを屋根に固定し後ろのポールを上げて走ります。終点では今まで下げていたポールを上げ、今まで使っていたポールを屋根に固定して進行方向を逆にします。ボギー車になったため車輪は前後に二つずつ付いていました。
  
 一番複雑な路線を持っていたのは東京で次は大阪でした。乗換切符を見ると蜘蛛の巣のように路線が書かれています。それに乗車点、乗換点、降車点、さらに年月日時までを穿孔するのですから車掌も大変です。お客もいつもよく乗る範囲は地理が判っていても、初めてのところなどに行くのは大変でした。

 私は大学のころ今の守口市にしばらく下宿していました。守口に大阪市電の始発点があったのです。朝七時までに乗れば往復早朝割引で七銭でした。中ノ島の田蓑橋まで二回乗換えて一時間近くかかっていました。今は地下鉄になっていて梅田まではとても早くなりました。そのころ神戸にも港町らしいユニークな姿の市電が、今の地下鉄の上などを走っていました。

 いろいろ調べてみましたが現在市営の路面電車が走っているのは、函館、熊本、鹿児島だけのようです。私鉄が走らせている市内電車の主なものは、岡山(岡山電軌)、広島(広島電鉄)、長崎(長崎電軌)、松山(伊予鉄道)、高知(土佐電鉄)ですが、東京の都電荒川線、東急の世田谷線、大阪の阪堺電軌片町線阪堺線、京都の京福電鉄の嵐山線北野線などでも昔を偲ぶことができます。


  話は飛びますが1989年にリスボンに行ったときは、昼食にサンジョルジェ城のそばでフランス料理を食べました。ポルトガル名物のお魚料理を勧められましたが、お肉と赤ワインにさせてもらいました。ポルトガルでは赤ワインをビーニョ・ティントと呼ぶのです。これは真っ先に覚えました。世界に有名なポルトワインやマディラワインの国ですから不味いはずがありません。ポルトガルあたりは葡萄の木を高く伸ばせて育てるのです。収穫には梯子を使うなど不便なこともあるようですが、南国の太陽をいっぱいに吸わせて育てるのです。

 食後に付近を歩きました。リスボンで最も古い町並みだそうです。窓には洗濯物が遠慮がちに干してあり、街角では七輪を持ち出して鰯を焼いていました。こんな風景が見られるのはヨーロッパではここだけだと思います。先ほどお魚料理をことわったのですが、この香りには郷愁を感じました。

 とある広場のそばから市電に乗りました。ここでは未だやはり車掌が切符を売っていました。急坂を車輪を軋ませながら下ります。当時は有事には軍用にするつもりで重厚な造りになった大聖堂や、壁に奇妙な嘴状の飾りをつけた「くちばしの館」などを眺めながら平地に下り、まもなくロシオ広場に着きました。
 
 ロシオ広場はリスボンの中心であり、広場の中央にドン・ペドロ四世の騎馬像が立っていて、北側には国立劇場があります。交通の中心でもあって広いロータリーから各方面に行くバスが出ています。周囲は賑やかなショッピング街で金銀細工の店が大部分です。 隣のレスタウラドーレス広場には、六十年間のスペイン支配から1640年に再独立を勝ち取った戦士のために、中央に高さ三十米の記念碑が立っています。レスタウラドーレスとは復古者のことだそうです。その広場の一隅から市電のケーブルカーに乗りました。ここも車掌が切符を売っています。

 ケーブルはサンフランシスコと同様に見えないように出来ています。しかし急勾配のため床は二段になっています。途中は停留所が一つだけですぐ終点です。道路は急勾配のため車の通行はなく、人間だけが悠々と歩いていました。

終点の左は、1584年にやっとリスボンにたどり着いた天正遣欧使節団が、約一ヶ月滞在したサンロケ教会で、右は少し離れてサンペドロ・デ・アルカンタラ展望台です。このあたりは町の西側にある高台で目の下がレスタウラドーレス広場、その後ろにはサンジョルジェ城、左は広場から一・ニ粁粁続く幅九〇米のリベルターデ大通り、その先はエドゥアルド七世記念公園まで、右はテージョ河の港から対岸のセトゥーバル半島まで見渡すことが出来ました。

 その頃は港からサンロケ教会、ケーブルカーの終点、展望台の傍を通る路線に市電が走っていました。狭い道なので単線の電車が通ると、道いっぱいで傍を自動車が通れません。前方に電車を見つけた自動車は随分離れた離合場所でじっと待っていなければなりません。電車の後からついてゆく自動車は追い越すことはまず不可能です。横道を探すことになります。このような状態でしたからその後に行ったときには路線の運行が廃止されていました。


  外国でも路面電車はどんどん減ってゆくようです。観光客にとっては石や煉瓦などで造られた硬い冷たい建物の間の、狭い石畳の道から現れる細く背の高い電車など、優美で柔らかく且つ暖かく感じられ、それ自体が大切な観光資源と考えられます。それにもかかわらず減少するのは欲張り企業の我侭のせいではないでしょうか。

 日本でもそうですが外国でも時間に余裕がないと市内電車には乗れません。北欧に行ったのは1993年でしたがオスロでは市内電車を見かけましたが乗れませんでした。ヘルシンキでは8の字に循環運転している市電があるから一度乗ってみるとよいと案内書に書いてあったので、ほぼ一日暇があったので試してみました。

 朝食後すぐ外に出るとホテルの隣は朝市で賑やかなハカニエミ広場です。そこにある国鉄の地下駅に入って発券機で切符を買い改札機で時刻を打ち込み、通勤列車で次の中央駅まで行きました。

 1914年に完成した49米の時計塔を持ち、緑の屋根と茶色の壁をした豪勢なヘルシンキ中央駅はシベリヤ鉄道の終着駅です。駅前広場には各方面に行くバスの乗場と市電の停留所があります。北側には薄茶色の石で造られ赤い屋根を乗せた国立劇場が建っています。

 まもなく3T系統の市電が来ました。貰った市役所の英独語案内書によると、約50分で一巡する循環系統であり、一巡するとヘルシンキの土地勘が一気に生まれると書いてあったので、東京の山手線を一周する程度と簡単に考えて乗り込みました。

 ここでは運転手から切符を買い刻印機で時刻を打ち込みました。電車はまずマンネルヘルミンティエ大通りを進みます。左に三人鍛冶屋の銅像があり、次はデパート・ストックマン、次がスウェーデン劇場です。ここから右へ左へとカーブが続きます。中小企業の建物が大部分です。広い歩行者天国の通りや、狭い一方通行の道を横切って進みます。

 約15分もすると大きな病院と教会があり、それを過ぎるとカイポ公園です。このあたりが西の端のようです。車両は小さくてよく揺れるし、込んでいて立ったままなので殆ど左側だけしか見えないし、言葉も文字も判らないし、この市電の選択は失敗でした。

 今度は海沿いの道に出ました。右に昨日乗ってきたシリヤラインの船が泊っています。今日の船は船腹にシリヤ・ヨーロッパと書いてあります。船に近いところから一人の日本女性が乗ってきました。軽く頭を下げるとびっくりしたように「この船に乗って来られましたか」と尋ねられたので、昨日シリヤ・ハーモニーで来ましたと答え、少し会話をするとシリヤラインの各船に一人ずつ乗っている日本人案内人であることがわかりました。

 私がこの電車で一巡するつもりだと知ると、昨日一応の観光を済ませハカニエミ広場で泊られたのなら、これ以上この電車に乗っていても無駄と思います、次のマーケット広場で下りて歩いて見物するとか、遊覧船にでも乗られた方がよいでしょうと教えてくれました。

 これから先どうしたものかと思い悩んでいた私は、喜んでマーケット広場で降りました。広場の海岸には観光船がずらりと並んでいます。各社競争で宣伝の広告を掲げています。その中から教わった会社の船を見つけて乗りました。

 昼前に出航して二時間足らずでしたが、これはすばらしい観光でした。お天気は好いし、景色は美しいし、日本語の案内文があるし、軽食つきで注文すればワインも飲めて、本当に幸いでした。

 遊覧船についてはまた別の機会にお話しすることにします。旅をして困ったときは努力さ
えすれば誰かが必ず助けてくれます。
 

ではまた・・・・・issy・・・

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